京都「開化堂 かいかどう」の茶筒

開化堂 かいかどう 茶筒が並んだイメージ画像

京都「開化堂」は、明治8(1875)年創業の日本で一番古い歴史をもつ手作り茶筒の老舗メーカー。文明開化の流れのひとつとして、英国から輸入された錻力(ブリキ)を使い、それまでにない丸鑵の草分けとして創業しました。 以来、一貫した手づくりで、一世紀を過ぎた今もなお、初代からの手法を忠実に守り続け生産しています。

「簡」の美 そして「用」の美

開化堂 かいかどう 茶筒の経年変化のイメージ画像

開化堂の茶筒は、鑵本来の渋い美しさを楽しむことのできる生地物(地肌を生かした塗装のない茶筒)。素材自体の色や絹にも似た手触りを大切にし、必要以上に手を加えないシンプルさを保つことで美しさを極めています。

そんな「簡」の美は、使いやすさという「用」の美にもつながっています。蓋を茶筒の口に合せるだけで自然にすーっとしまる精密さは、手づくりならではのもの。二重構造による高い気密性で、中に入れられた茶葉を湿気から守り香りを保ちます。本来の用途である日本茶はもちろん、紅茶や中国茶、コーヒー豆、スパイス、パスタ、穀物など幅広いものに活用できるのです。

また、使うたびに手のひらで撫でることで素材特有の色の経年変化が生まれ、それとともにまろやかな光沢が深まっていきます。色つやが変化していく様子を見るたびに、自分だけの道具を育てていく喜びに包まれることでしょう。

熟練の技術

開化堂 かいかどう 茶筒作りのイメージ画像

130~140ほどの工程を、すべて手作業で仕上げる開化堂の茶筒作りは、初代がほぼ完成させたもの。創業時からの金型は今も受け継がれ、140年を経ても変わらない茶筒を収め続けています。
細かい工程とそれを行う技術は一昼夜で身につくものではなく、ゆえに完璧に作り上げることができる職人は多くいないため、大量生産もできません。しかしながら、先代たちが積み上げてきた昔ながらの製法にこだわることで、時代を経ても高い品質が保たれています。それが、日本国内外で最高級茶筒と呼ばれる所以です。


開化堂の茶筒

開化堂の茶筒作り

開化堂の茶筒作りのイメージ画像

1)材料切り
裁断機のガイドを茶筒のサイズごとに合わせ、材料となる板を裁断します。茶筒のサイズに合わせて、糊しろの線を引きます。その後、板の縁を直線に削り逆側から木槌で叩きます。これによって筒状にした際の手触りが良くなります。次に蓋部分と胴体部分に分断します。その際に生じた歪みを木槌で叩いて直し、「キサギ」と呼ばれる三味線のバチのような道具で断面を馴らし手触りを良くします。

2)丸める
「三本ロール」という道具で丸めます。裁断した材料を1枚1枚丁寧に丸めていく為、三本ロールでは量産ができません。真円にするのが難しく、熟練された技術が必要です。

3)ハッソウではさむ
丸めた材料の糊しろ部分を「ハッソウ」と呼ばれるクリップのようなものではさんで固定していきます。ここで茶筒の直径が決まります。同じ直径になるように正確にはさみ、木板の上に積み上げていきます。

開化堂の茶筒作りのイメージ画像

4)底入れ
「ハッソウ」ではさんだ胴や蓋の糊しろ部分にハンダ付けをし固定します。その後、底になる回りの縁を木槌で軽く叩いてから、胴に底を取りつけます。これにより、底が胴から抜けづらくなります。トントンとツキアゲという道具を使って底を平均的に押し上げます。そして底の部分にハンダ付けをします。

5)底入れハンダづけ
溶剤を糊しろの内側につけて準備します。銅でできた「鏝(こて)」を熱します。鏝の温度は、炎の色や溶剤をつけた際の音で判断します。温度が一定にならないとハンダが全体にまわらない為、経験が必要な工程です。

開化堂の茶筒作りのイメージ画像

6)調子をみる
キ(胴から見えている内側のブリキの部分)と蓋の調子を合わせます。そしてキを金槌で叩き、胴とキの隙間がなくなるように、また蓋にピッタリ合うように、ふくらみをつけます。キと胴をきっちり合わせハンダ付けをします。さらに蓋の天を、最後にブリキの中底を入れ、それぞれをハンダ付けします。

7)磨きと仕上げ
研磨を行います。砥の粉と種油を用いて磨いていきます。手元に神経を集中し絶妙な力加減で、磨き上げるタイミングを見極めるところがポイントです。研磨後、中蓋を入れ調整を行い、蓋がすーっと落ちるか確認してでき上がりです。

開化堂の歴史

開化堂 ロゴ画像

開国まもない明治8(1875)年。江戸時代には錫の茶筒や陶器の壷が一般的だった茶のための入れ物を、錻力(ブリキ)で作ろうと店を興したのが初代・清輔でした。鉄を錫でメッキした錻力は当時、舶来のハイカラな素材。またその頃は茶が一般に広く飲まれるようになった時代でもあり、伝統を大切にしながらも新しいものが大好きな京都人の心に響いたのでしょう、数多くの茶舗や金物店からの注文を受け、それぞれに合わせた茶筒を作りました。
当時はまだ冷蔵庫のなかった時代。初夏に摘み取った茶葉の風味や品質を損なわず1年間保存するためには、気密性は非常に大切なポイントで、開化堂の茶筒は機能性の面からも茶舗のお眼鏡にかない、やがて京都を中心に西日本一帯の茶舗がこの茶筒を取り扱うようになりました。

大正5(1916)年に跡を継いだのが、歴代の中でも最も腕の立つ職人ではなかったかといわれる二代目・音吉。
第二次世界大戦前後の材料がままならず、道具さえも供出した時期を乗り越えた三代目・彦次郎。
戦後の高度成長期に台頭した安価な茶筒作りに負けず昔ながらの茶筒を作り続け、銅の茶筒を作った四代目・正一。
茶舗だけでなく個人にも販売を始め、それに合わせて携帯用の茶筒や真鍮の茶筒も作った五代目・聖二。
そして六代目となる隆裕が加わり、二段茶筒やブランドとのコラボレーション、海外での展開へと、伝統を守りながらもワールドワイドな視野を持ち始めました。

一代ごとに新しい要素を加える、これも伝統のひとつ。世界はいくぶん広がったものの基本となるものは同じです。140年を経て受け継がれてきた、開化堂の茶筒。その技と茶筒づくりの姿勢をこの先も守り続けていくのです。